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選択的シングルマザー等についての私見

選択的シングルマザーという、最初から結婚せずに出産して、一人で子供を育てていくライフスタイルを選択する女性が増えていると言われている。実は私もつい先日テレビでそのような特集番組を観たのだが、個人的には選択的シングルマザーはあまり容認できない。先日見た番組で、明らかに自分の意志でシングルマザーになった女性が、結婚して離婚した場合と最初から結婚せずシングルマザーになった場合で税制上の不公平があることに不満を漏らしていた。だったら紙の上だけでも婚姻届を出しておけばよかったのではないかという話もそうだが、自分の意志でシングルマザーになった親がその程度の税制援助なしで生活していけないのであれば最初からそうしたライフスタイルを選ぶべきではなかったのではないかと個人的には思う。(不公平さの問題から論点をすり替えているという誹りは免れないが、法律側からの親へのメッセージと捉えることは重要ではないか)

勿論ひとり親家庭そのものが増えている現状は社会として経済的支援なり何なりでその存在を認識し、かつ適切なサポートがなされるべきであることは言うまでもないが、...

 選択的シングルマザー支持議論としてしばしば、両親が揃っていることを①家族のフレームとして絶対視することが適切か?②希望せず生まれてしまった挙句いやいや両親に(或いは虐待されながら)育てられる子供と、希望して愛されつつ一人に育てられる子供とどちらが幸せか? などが取り上げられる。 

まず①だが、家族フレームの絶対視とまでは言わないまでもしっかりした人間の間に生まれたのであれば家族構成は古典的であることをスタンダードとして良いと考える。以前某有名予備校講師が「東大に受かるのは家族や周りの人に愛されて育ったなというのが分かる生徒」と言っているのが強く印象に残った。経験上私も同じように思う。

②については「そういう問題ではない」の一言に尽きる。前者の子供の問題と後者の子供の問題は別個の問題として考えるべきで、まして幸福さなどといった尺度で程度を比較して自己防衛した気になるべきではない。そもそも避妊しないことは行為をする当事者の問題であり、虐待は論外な上根本的に違法であるから家族のあり方だの何だのと言った法律の外の問題のように扱うことで別の問題の尺度に干渉させること自体がおかしい。すなわち前者の子供の問題は子育て以前の問題であり、シングルマザー云々とは関係がない。

客観的な観点からひとり親が子供にとって良い環境とは言いにくい。まして母子家庭が両親健在の家庭に比べて自由度は低いはずであって(まず家事労働を分担できない上女性が子供を一人で養うだけの収入を得るのは相当に難しいことは言うまでもあるまい)、子供を産んだ段階で、その子供に不便不自由をかけさせるようなことを自分からわざわざするなど言語道断である。基本的に私はエネルギーのベクトルは一律で下の世代に向けられるべきであり、親の世代が子の世代に、きちんと教育的投資をすることが”当たり前”であれば子の世代は孫の世代に投資することを厭わない連鎖がつながってゆく。最大限動ける、可能性のある存在が最大限の権利を有する環境と風土が社会として醸成されるべきであると私は考える。

子供は生まれた瞬間から社会、他者総体との不断の接触と交流がはじまり、それは生前のみならず死後永遠に続くものである。すなわち、親の肉体から離れた瞬間から、子供は全社会への影響を与える一存在となり、その影響はいずれ自分にもはね返ってくる。そして親はその責任を担うと同時に、子供の存在(プレゼンス)凡てを掌握できる存在ではなくなることに対し、親になる/なった人間はもっと謙虚であるべきだ。

 

(...って、偉そうに書いたは良いけど、自分も別に親になったわけじゃないから説得力とかはないよなあ 30ぐらいの女性が「この歳になると急に子供が欲しくなる」って言ってたのが印象的でした。)